TOP 変わっては駄目なもの 受け継いでゆく運命的のもの 幟(のぼり) 「そうだ、幟を作ろー」と言い出したのは1990年頃だったと思います。 太鼓のメンバーの皆さんも一度は見たことがあるでしょう。 当時、いったいどのようにして幟を注文すれば良いのか、全く分かりませんでした。必要だったのが、当たり前ですがその元になる原稿(デザイン・意匠)です。 炎のトレードマーク 演奏衣装の左胸にある丸に収まった炎という文字は、当時の(初代1986年製)演奏衣装の製作会社ログノッツオさんの、藤田忠さんや栃平圭彦(よしひこ)さんをはじめとするスタッフの方々がデザインされた物でした。(であろうと推測してます) トレードマーク以外の背中の短冊ロゴも、ホントにお洒落で素晴らしく、誇れるデザインだと思っています。その他初代ノースリーブの背面のデザインも、当時は全て手書きだったのでしょうね・・・。 これら全て提供されたもので、衣装やロゴについて個人的には、全く関与していませんでした。炎のトレードマークって先輩の上田光春さんがデザインされた?かも、とも思ってましたが「俺じゃないよ」って言われました。 今は無き、京都にあった会社ログノッツオ!今更ながらに感謝してます。 この炎マークを「残したい」そう思った時にパソコンに向かってました。 仕事上、私は1985年頃からパソコンで図面を描いていました。図面ソフトは国産のCANDY4(キャンディーフォー) アメリカIBMがコンピュータの入力デバイスとしてマウスを開発しました。そのマウスが売れるには、使用するソフトが必要だったのです。マウスでポインターがモニター画面を移動する初めての一般向けソフト、それが当時の日本人大学生が作った平面図面ソフト、CANDY(キャンディー)でした。因みにこの人、後にマイクロソフトジャパンの社長にもなられました。 炎のマークを製図的に描く この曲線はどこが中心の円弧なんだろう・・・衣装にトレース方眼紙や定規を当てながら・・・円を除けば内側はシンメトリー(左右対称)なので反転させれば、すぐに出来る! 四苦八苦しながら図面ソフトで炎のマークを描きました。 一旦数値データ化させると、複製や拡大、縮小は簡単な作業になるのです。 カッティングステッカー(幟を作るより前のこと) 炎のトレードマークのステッカーを車とかに貼って、団体意識を高めようとしました。ログノッツオさんが描いてくれたトレードマークを使って、図面ソフトで作った原稿を、水口と貴生川の間の307号旧道沿いにあるお店に出しました。カッティングスタジオKさんです。ここでは当時、NTTのトレードマーク(〇で上が捻じれている曲線)を唯一、パソコン制御のドラフター装置で描けて、NTTから評価されたお店でした。 「他の看板屋では書けなかったらしいよ」 と、この事を得意げにお話しされていた事を今でも覚えています。技術では自信ありって感じで!今でも相当な技術があると皆さんから期待・信頼されているお店のようです。つまり、NTTのトレードマークは図形的に相当難しく、また厳密に再現できていないトレードマークは「まがい物」という扱いなんです。1985年頃にNTTが認める技術を持っていた、お店なのです。 江戸文字勘亭流(フォント)との出会い 世間一般的に使われる書体(フォント)は、学校の教科書や新聞文字のように、ほとんどが明朝体やゴシック体でした。今では専用の教科書体というようですが、その他には行書体とか相撲文字とか沢山の特徴を持った字体(フォント)があります。今から36年前に個人が持っているパソコン内のフォントは、一般的な書体だけでした。他のポップ文字や丸文字とかは、看板屋とか業務用では恐らく10万円以上出費しないと扱えなかったと思います。何せ当時のパソコンソフトは10万円台がほとんどで、昇華型カラープリンターが初めて100万円を切った!でビッグニュースになる、そんな時代でした。 「あのー勘亭流って描けますか?」 とスタジオKさんに聞くと、あるけど「江戸文字勘亭流」の方が格好良いよ! と勧められ、それじゃ 縦書きでお願いします!と伝えて、これシート買ってくれたからサービスしとくわ〜と頂きました。最新のドラフター装置で、シャープペンシル芯描き、だったと思います。幅が8センチ長さ30センチぐらいの紙だったかな。両手で受け取って凄く感動した事を覚えてます。 これが当時世間には、あんまり知られていない書体「江戸文字勘亭流」との出会いでした。 この紙に書いた文字を数値データ化、図面化「パソコンに取り込み残す」という事は、炎マークより大変な作業になりました。カッティングスタジオKさんで描いてもらった縦書きの紫香楽太鼓に、トレース方眼紙を重ねて、なぞり、アウトラインの座標を読み、図面ソフトで描いていく、という事を繰り返し、5文字全てを製図形にしたのです。ほんまの根気だけでした。 それで先に図形化しておいた炎マークを上下に入れて、ようやく「のぼり」の原稿が完成できたのです。原稿は幅10インチ連続用紙で原寸大で印刷しました。この幟の書体は、当時世間一般的なものではなく、その特異性が”誇り”に思えたし、炎の”看板文字”が完成した時でした。 因みにこのフォントのパソコン版を入手したのは、2005年を過ぎてからです。随分探しましたが、なかなか無料版は無かったんです。パソコン版を入手するまでは、30年以上前に図面ソフトで取り込んだ「江戸文字勘亭流」を文字ではなく{文様}として使用していました。 興味ある方は「江戸文字勘亭流」や「勘亭流」について調べて下さい。現在なら沢山の情報がネット上にあります。紫香楽太鼓炎に相応しい書体であること、薦めてもらって私が選んだ理由が理解できると思いますよ。 30年以上前に団体名の書体を決めたのです。ですから公に団体名称を掲げる時、必ず書体を「江戸文字勘亭流」にしてください。家紋、みたいな感じで考えて下さい。 幟、太鼓のメンバーの皆さんも一度は見たことがあるでしょう。 でもじっくり{アウトライン}輪郭をなぞって見た事ってありますか? どんな団体でも其々輪郭が有ると思うのです。ルーティーン的な事も含めてです。外観的にも内面的にも、その初代から作り上げた輪郭を外しては良くない事があると感じます。 伝統的な{信楽火まつり}は江戸時代からあった、と聞きました。 変わっては駄目なもの”紫香楽太鼓”の表記書体 ”江戸文字勘亭流”の話でした。 |