紫香楽太鼓炎ゝM

炎の十周年記念誌の記録
平成5年10月31日
感動10年!紫香楽太鼓炎=@ 宇田篤史 部長
信楽のシンボル的な存在になってほしい  杉森一夫 当時の町長
信楽の心をつ鼓ちつづけて10年  村木 繁 後援会 会長
指導者たちも素人だった! 守岡孝三
先輩たちが築いた10年は大きい! 村木浩之
編集後記  坂口重明 顧問

十周年記念誌 写真集
十周年記念式典 写真集 ビデオより
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感動10年!紫香楽太鼓炎
宇田篤史 現部長

 1983年、夏。毎年の様に松明奉納の為に役場駐車場へ足を運んだところ、そこには櫓が建ててあり、そのうえには大太鼓が据えてありました。近くへ行ってみると、坂口、加藤、竹尾、神崎の4人がいました。「何してんねん」と声をかけると、「火まつりを盛り上げよう思てんねん」との返事。私は「おもしろそやな」と思いました。松明奉納を終え、駐車場へと近づくにつれ太鼓の音が聞こえてきました。その響きは、モウスコシ、ガンバレ、ガンバレと、疲れた体を励ましてくれている様に感じられ、櫓のうえでは4人が汗だくになり、バチを振っていました。私も上がって少しだけ叩かせてもらいました。
 「おもしろそやな」「お前もせーさ」そんな話をして、気楽に仲間に入れてもらうことになったのです。グループの名前は火まつりから「炎」となり、2年後にはメンバーは8人に増え、火まつりだけでなく陶器祭の式典、キャンぺーン等で町外でも演奏することになりました。
 青少年ホームを借りて毎週金曜日2時間ぐらいの練習でしたが、何も音楽経験の無かった私は皆になかなかついてゆけません。ひとりの時にはどう練習すればいいのかもわからず、又、やろうという気持も薄れがちでした。メンバーの中でこれからの活動をどうすれぱいいか、せっかくできた{炎}を続けていくためにはと話し合い、大人だけではなく子供もまじえてやって行こうということになり、小学3年〜6年生の14人を加え、23人のメンバーで発足4年目にして新たな出発となったのです。メンバーは増えましたが太鼓がない、町の協力で締太鼓5台を揃えていただき、大太鼓は新官神社や飯道山神社から借りていました。
「自分たちの大太鼓があったらなあー」「子供達にはどんな風に教えたらええんやろなあー」新しい出発と同時に、又新たな悩みもできてくるものです。
 当時代表であった坂口さんの各方面への働きかけと、村木茂氏、今井隆史氏、大平正道氏らの御尽力、並びに商工会青年部各位の御協力、又信楽町の皆様の御理解により、後援会を発足していただきました。
 二尺三寸の大太鼓1台、一尺四寸の中太鼓2台。当り鉦、後に締大鼓3台、中大鼓3台、たくさんの太鼓が揃い、メンバー一同、大変喜んだものです。作曲は、幸運にも尺八演奏家山本邦山先生の御紹介により、京都の邦楽鳴り物師、藤舎呂悦先生にお願いすることができ、直々の御指導まで受けられました。
曲には前町長の宮脇武市氏より{炎の舞}と命名していただきました。町民体育館を保管並びに練習場所として借りられるようになり、それまでの、太鼓を借りに行ったり、練習場所の確保などにわずらわされず練習できるようになりました。
 以前メンバーが行き詰まりを感じ、再出発の時に描いた夢が子供達と「炎の舞」によって現実となり、昭和62年8月には水口青年会議所の依頼により竜童組コンサートという大きな舞台に前座ではありましだが出演することができました。
また、その年の11月からは信楽町文化芸能発表会に毎年参加させていただいています。平成元年には観光協会どうしで交流のあった富山県井波町より太鼓をやりたいという人たちが訪れ、色々と話をしました。私達と同じく藤舎呂悦先生に作曲と指導を受けられ、翌年、八乙女風神太鼓として発足され、初披露には紫香楽太鼓「炎」も友情出演しました。以後交流を深め、本年5月と7月には両町姉妹提携の橋渡し役をすることができました。
 平成3年、信楽は世界陶芸祭を開催。これを機に、信楽の邦楽三団体で合奏できるオリジナル曲「信楽絵巻」を山本邦山先生に作曲していただき、御指導もお願いしました。琴、三味線、尺八、ソフトな音色と力強い太鼓、今までの太鼓だけとは違った形のハーモニーを作るという新しい経験をさせてもらいました。
平成4年の愛東町での太鼓フェスティバル、甲賀でのふるさと再発見、平成5年の水口文芸会館十周年記念事業等において県内の太鼓グループとの交流もはたすことができました。
 また町内では、敬老会への出演や、小・中・高校の文化祭活動への協力も行なってきました。これからも色々な機会を通じて町民の方に広く親しんでいただけるよう活動していきたいと思っています。
 私が10年前の火祭りの夜に松明を担ぎながら聞いたあの太鼓。松明を担ぐ人、見物する人、太鼓を叩く人、すべての人の心をひとつにして動かす響き。いつまでもその響きが信楽の町に流れ続ける事を願ってやみません。
 色々な活動ができたのも、同じ様に太鼓を愛しているメンバーとの出会い、それをささえてくださった後援会の皆様や各方面の方々の御理解と御支援のおかげです。これからも紫香楽太鼓「炎」一同は頑張って活動をして行きたいと思いますので、どうぞより一層の御支援をお願いいたします。ありがとうございました。

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信楽のシンボル的な存在になってほしい
杉森一夫  当時の町長

 明日への熱き鼓動を音と形に替えて内外に示すべく、紫香楽太鼓「炎」が結成されて早十年を迎えました。記念すべき時にあたり一言お祝いを申し上げます。
 今や信楽を代表する、言い替えれば信楽の顔ともなった太鼓「炎」。町内だけでなく各地での演奏会にも数多く出演され、時々に感動を与え、好評を博していることに大きな喜びを感じているのは私だけではありません。指導者はじめ、関係者の皆様のたゆまざる取組みがここに実を結んだものであり、深く感謝を申し上げます..
 信楽の町に芽生えた創作太鼓「炎」が、芸術として多くの人に認識され、文化として根づいてきたことが我が町の町づくりにも大きなインバクトとなりました、それだけに今後の活躍を願わずにはおれませんし、町としても可能な限り支援をど思っております。紫香楽太鼓”炎”の限りなき発展に期待しお祝いの言葉といたします。

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信楽の心をつ鼓ちつづけて10年
  村木 繁  後援会 会長

 勢い良く燃える元火にたいまつは次々と点火され、愛宕山な目指して駆け上る。傍ではそれを激励鼓舞するが如く一段と太鼓の響きが高くなって来た・・・。
 この様な光景は、もう毎年陶器祭にはなくてはならないものになりました。この様に大人から子供迄、全町民に愛され期待されているものは紫香楽太鼓「炎」の他には見当たらないと私は思っております。
 この紫香楽太鼓「炎」も結成以来早十周年を迎えられ、心よりお祝いを申し上げます。
 発足以来現在に至るまでたいヘんな御苦労の連続であった事だろうと思いますが、当時をふり返った時、民間主導形で太鼓の会を運営されていたのは県下ではまだほんの二、三しかなかったと思います。今日メンバーは子供さんを含め、約四十名になリ、県内はもちろん、県外でもその凛とした勇姿と勇壮な太鼓の演奏をこなしておられる姿を見る時、深く感動を覚えるものであります。
 信楽町民の御理解、御協力、そして御支援があれぱこそ、今日この様に成長された次第ですが、同時に「炎」が一致団結して真摯に、そして一生懸命練習に次ぐ練習をされた結果が全町民の心を捉えたのであります。今や信楽町になくてはならない存在になりました。どうか先輩後輩のメンバーのみなさん、心を一つにして今後益々精進されショー的でなく、正統派的な太鼓の演奏集団として御活躍される事を心から願う次第であります。後援会といたしましても、皆様方の御活動には大ヘん嬉しく、今後共一層の御協力を申上げる次第であります。
 最後になりましたが、メンバーの皆さん方の益々の御健勝を祈念しまして御祝いの言葉といたします。

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指導者たちも素人だった!
  守岡孝三

 まず最初に信楽という町に感謝したい。そして紫香楽太鼓「炎」を創設された先輩に、後援会の皆様に、全町民の方々に、勝手ながらこの書面を通してお礼を申し上げたいです。本当に感謝してます。私以外のメンバーも同じ気持だと思います。
 私は現在、指導員という立場で「炎」に籍をおいていますが、まだまだ自分はそんな立場ではなく、太鼓の難しさがやっと解りかけてきたヒヨコです。
「炎」に入会した当時は、先輩方七人で大人ぱかりでした。「まあ音楽も好きだし、ストレス解消にもいいかなあ」という気持ちで気楽にやってました。打楽器は初めてでした。バチを持ち太鼓を叩いてみてその難しさに困惑し、その奥深さに感動しました。どれだけ、一打一打に感情を込め表現できるか、だと思います。とにかくシンプルです。それ故、奥深いものがあり魅力あるものだと思います。
 さて、私が入会して一年後に小学生が入会してきました。入会時の表情は一緒で揃って不安顔、でも「太鼓が叩きたい」という気持ちがその眼を見てると伝わってきて、私自身にとっても新たな気持ちになり、良い事であったのですが、それなりに「子供になんか負けて!」というプレッシャーも感じました。
これでは私も頑張らないと本当に負けてしまうぞ、と感じかけてきた時、ドキッとさせられた事があったのです。それは、ある一人の子供さんから「先生!」と呼ぱれたのです。正直言って最初、誰の事か解りませんでした。「えっ!?」と気付いた時、私は初めて背筋をのぱした様な気がします。その時は、とにかく恥ずかしい思いをしました。
 今では私も、それなりに太鼓は叩けるつもりでいますし、子供さんに対しての練習方法も、なかなか意味深く、指導しているつもりでいます。とにかく紫香楽太鼓「炎」の檜舞台は、火まつりの松明奉納の夜、その夜を盛り上げていく立場なので松明を奉納される方々、又、観衆の人々が、その雰囲気に融け込んでいける様な、太鼓を叩くのが紫香楽太鼓「炎」の位置だと思っています。ですから練習も、技術よりも精神的なものを、大切にしたいのです。当然その事は、技術面も伴わないとダメだと思います。
 例えば、みんなで連打の練習をしているとします。両手は以外と頭で考えている様には動きません。独りでは同じテンポで叩けても、みんなが連打するとなかなか揃わないのです。その時、何が大切なのか、私は「気持ち」だと思うのです。みんなが心を同じにする、テンポを感じとる。子供達には、その事を直接言うのではなくて「連打しろ」と言えば、「心を同じにするんだ」と自分自身で解釈してほしいのです。難しい事だとは思っていますが、今、そういう事を子供達に教えている様な気がします。

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先輩たちが築いた10年は大きい!
 村木浩之

 紫香楽太鼓「炎」の十周年と聞いてまず驚きました。八年前に信楽に来て以来、火まつりには松明奉納に参加して太鼓を見ていたので、火まつりと共にもっと古い歴史を持つものと思っていたからです。
 私が入会して早四年目になりますが、外から見るのとは違い、舞台裏では、自分の練習、子供達の練習指導、太鼓の手入れ、火まつり等イべントの調整準備、太鼓運搬など、その中身はなかなか大変であり、今回この十周年誌を作るに当たり「炎」の歩みを知る事もでき、今日私が太鼓を叩けるもの後援会の皆様の御支援と「炎」を守り育てて来られた諸先輩方のお陰と感謝しています。
 さて、現在の「炎」を見ると町内外のイべントにも多く参加するようになり、火まつりにはもちろん無くてはならない存在として皆様に認識していただけるようになりましたし、子供と大人両方の入会希望者が毎年あるという事で名実共に充実した時期であり、十周年を記念するにふさわしい時かと思います。
 私も微力ながら、今のこの十年日の「炎」の勢いを維持して行ける様頑張りたいと思いますが、四年間やっていて一つ残念に思う事は、小学校二年生から入会するものの、ほとんどの子供達が中学あるいは高校への進学時でやめてしまう事です。身体もできてくるし大きな声も出せるようになれぱ、小学生の頃とは違った力強い太鼓が叩けると思うのですが、こればかりは仕方のない事かも知れません。私達としては、いつの日か今の子供達が「炎」に帰って来てくれるのを期待して待つしかないのかも如れませんが、今の子供逢の為にも心の中に残る「炎」を目指し、厳しく、楽しくありたいと思っています。
 また、大人と子供のチームワークにも心掛け、心を一つにして聞く人に感動を与えられるような「炎」にできたらと思いますが、その為にはまず、私が子供達に負けない様に練習を重ね、少しでも余裕を持って指導に当たれるように努力して行きたいと思います。子供達の上達ぶりには目を見張るものがありますが、技術面だけでなく、彼らのやる気を伸ばして行く事も紫香楽太鼓「炎」の大事な仕事ではないかと考えています。

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編集後記
坂口重明    顧問

 この度、紫香楽太鼓「炎」結成10周年記念イべントを計画し、それに伴う「記念誌」を発行して、後援会や今までお世話になった方々に配布し、読んでもらおうと、企画したのは、今から約一年前でした。
 私自身三年前までは、部長及び代表として、メイン事業の火まつりや、町内行事、郡内行事に参加し、様々な経験をさせて頂きました。
 一線を退いてからは、補佐役に廻り、ひそかにこの企画を錬っていた次第です。しかしながら、今日まで続けてこられたのは、何といってもメンバーの一人一人が大きい意味で太鼓の面白さを実感し、それらに対して努力し続けてこられた事に他ならないと思います。
 好きだけではどんな世界でも続けていく事は不可能だと思います。前へ進んで行くためには、いろいろな問題が生じてきます。道具費用、自分の仕事や生活、生徒に教える時間と自分の練習時間、それから生じるイライラ、ギクシャク、不信感などなど・・・。
 この団体生活の難しさは、家庭や職場での生活とは別格です。これらを克服し、毎年陶器祭に行われる「火まつり」行事に見事な大人と子供達のチームワークを作りあげ、その夜を感り上げてくれる紫香楽太鼓「炎」は、本年で十一年日に入ります。部員も常時四十名余りを擁し、増々元気いっぱいで頑張っております。これから先も、メンバー仲よく自分達の足もとをしっかり見つめ、周囲に流されず、我が心を打ちつづけて行く事でしょう。
 最後に、太鼓という打楽器から出る音は、人々の持っている心や体の奥度にたまったイライラや、モヤモヤをハキ出させてくれる不思議な健康食品です。貴方もぜひお友達をさそって、試食されては!

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=★ スペシャルサンクス ★=
当日の友情出演

石部太鼓保存会
設立 1980年

水口ばやし 八妙会
設立 1960年

紫香楽太鼓炎 後援会の皆様


紫香楽太鼓炎≠P0周年記念誌
編集・発行:紫香楽太鼓炎
デザイン・レイアウト・製作:タカハウス
発行日:平成5年10月31日


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